わたしの完成
わたしの中には、いつも、今でも、
考え方の矛盾した、両極端な、
全く別の、真逆のわたしが住んでいる。
こんなことを言ったら、
ちょっと変な奴だと思われるのか、同意されることもよくあるものなのか、真面目に詳しく、他人に話したことが無いので、わからない。
どっちにしても、毎日、
二つの揺れ動きに振り回されて、苦労してる。
ただ、分かっていることは、
どちらかのわたしを選ぶことも出来るし、二人を混ぜてちょうど真ん中にすることも、ちょうどいいバランスのところにすることも出来るということ。
自分で選ぶということ。
どんなわたしになりたいかということ。
わたしにはそこの、なりたいわたし像が、ない。
素のわたしに、振り回されている。
そして、わたしは、そんなわたしが、好きだということ。
どうしようもない。救いようがない。現時点では。
いつも寂しくて、人の温もりが恋しくて、人が好きで、わたしの周りの全ての人に感謝の気持ちを持っている、好奇心旺盛で、素直で朗らかなわたしは、確実にいる。
冷酷冷淡で、人の揚げ足ばかりとって、常に不信感を抱いていて、わたしの正しさを無理矢理他人に証明させて、全てのことを馬鹿馬鹿しく見下して、天邪鬼なわたしも確実にいるんだ。
どちらも出てきてしまう。
どちらかが出てこないときは、
ニュートラルな、無心に近い、どちらも選べる気はするけれど、なんだか切なくて、やりきれない寂しさを持った、中途半端な、わたし。
このわたしが、きっと今の完成形。
わたしが救われるためには、
どうなりたいかが大切だということは、
ずっと昔から嫌ってほど教えられて、知っているのに。
そんなことにも抗ってしまうわたしの性質。良いのか悪いのか。
もうしばらく続くんだろうと思う。
何かを待っているような気もする。
待っているだけじゃ何も降ってこないことは、ちゃんと、知っている。