貪る(むさぼる)
起きようと思わなければ、10〜12時間寝ちゃう。
大抵は10時間越してくると、罪悪感で起きるけれど、ひどい時は、永遠に寝る。
起きたくない。特にね、冬はね。
基本的に、過眠と過食気味。
この一ヶ月はアル中予備軍(自称)の治療中(自主的に)なので、アルコール依存は緩和されてきた。
今一番気になってるのは、わたしの過食の質とかレベルとかなのです。
本当に食べれれば何でもいい。し、
満腹中枢がぶっ壊れてるわけでもなく、すぐ満腹感は訪れている。
ただ、そんなのは関係ない。
苦しくても、気持ち悪くても、食べる。食べたいという強い気持ちよりは、止まらない。
自分じゃないみたい。
無心。
二日間、ご主人が帰らない飼い猫たちの、二日ぶりのカリカリの貪りつき方に近い。
食べた後は、なんでこんなものを、量食べてしまったの、、、ていう罪悪感。
そして、痩せよ。って思う。
どういうことなん。
なんも食べないなら二日間くらいいられるんだけどな。
いくら食べても太らないものがあったら、それを、永遠に食べてたい。
でも、食後のデザートは甘くて美味しいもので、後味は、幸せに、シメたい。
今日は納豆と味噌汁とおからと、
バナナと食べて、シメにバナナとオートミールのグラノーラと牛乳を何度も飲むように食べた。
シマらなくて。なかなか。
苦しい。
明日は、パンセクシャルの女の子になります。
パンセクシャルとは、男でも女でもなんでも愛せちゃう人のこと。
向き合おう。
夢遊病だった
ちっちゃい時、見たい夢が見れた気がする。
本当に見たいって思いながら寝ると。
好きな人と遊んだり、
三浦春馬くんがうちに来たり!
幼児園〜小学生時代、すっごくたくさん夢を見た。夢というか、半分本当みたいな感覚。
本当にその場所があって、またそこに行きたいって思うこともあるし、もう見たくない夢も多かった。
楽しい夢は、すーっごく長い滑り台を滑る、空を駆け抜ける感じの夢とか、
家の近くの大通りをずっと行くと、お庭が広くて綺麗な、魔女のおばあちゃんの家があってそこに、何度か遊びに行ったりとか。
怖い夢は、追いかけられて逃げて隠れて死にそうになくらいドキドキして、隠れてるところが布団で、気づくと現実、とか。
空から落ちていて、落ちて、全身打たれて、痛くて、起きる夢は何十回も見たかも。
あとは、車が一台通れそうな幅の、真っ暗な迷路みたいな空間を、永遠に進んでいくの、ゴールがなくて、目が回ってきて苦しくて、寂しい。
起きると大泣きしてて、ママとお父さんがなだめてくれてるの。でも止まらない。
今よりもっと、夢と現実の境目がわからなかった。
今もわからなること、よくあるけど。
少女漫画すごく好きだったけど、現実に戻るのがしんどくて、苦手になっていったもんね。
大きくなるにつれて。
寝てる時に、見る夢と、将来の夢、の、夢は、なんで同じ夢っていう言葉なんだろう。
寝てる時に見る夢は、わたしの願望の表れなのかなあ。
悪い夢を含めて。
今日の夢で、中学の友達に、
これがしたい、これが好き、っていう自分のもうひとりの影を見てごらんって言われた気がする。
優しくなりたい
昨日、遠慮はしないほうがいいって話を書いたのに、なんか全部消えてしまった。
もう一度は書けません。
デジタルのしょうがないところだ。
やっぱ紙がいいってことだ。終わり
良い事と、悪い事ってなんだろう。
みんな分別の仕方が違うよねえ。
わたしは自分で決めることが、ちょっと苦手で優柔不断なので、結構人に頼る。頼りたい。
でも、良いと、悪い、は、
それぞれの自分の中の価値観なんだね。多分。
多数決して多い方が、一般的な意見とか正義になりがちなのだと思うんだけれど、マイノリティもいるわけで。
ただ、一般的な正義を無視していたら、生きづらいだろうから、バランスをとるべきなんだろう。
法律で裁くとしたら、良い悪いっていう振り分けは明確だけど、それが全部本当に、良いのか、悪いのか。
誰に聞くでもなく、自分で考えるしかないみたいだね。
自分の意思をしっかり持たなきゃ。
でも、行き過ぎたら、自分の世界でしか生きられなくなっちゃうと思うから、難しい。
わからないよね。矛盾ばかり。
わからないのは当たり前でしょ。
まあ、わからないんだけど。
人の意見を聞いたら、
結果、自分で考えたり決めたりするしかないんだよなと、再度、気付かされた。
でも誰かに話したいものヨネ。
ああ、自分がされてやな事するのやめよう。
されて嬉しい事することにしよう。
終わり
言葉にすること
昔から、たしか、ブログに何度かトライしてた。続かなかった。
でも、言葉にできない気持ちを、どうにか言葉にしてみたくて、でも、諦めてた。
でも、書いていこうと思う。
何故か昔から、相手に伝わるように丁寧に細かく、気持ちを言葉にすることに苦手意識なのか、抵抗なのか、嫌悪感がある。
というか、できない。と思って、してない。
でも、小学生の時から今も、感情日記?を、気が向くと書き殴ってる。これは誰にも見せないから続いているし、文章にはなってない。
多分。
人に見せるとなると、なかなか、進まない。書いては悩んで、悩んでは消して、で、書かない。
でも、やっぱ、書いていこうと思う。
感情日記って、
感情の起伏は見えるけれど、わたしの感情のなすがまま過ぎて、たまに振り返ると、本当に不思議なくらい感情が同じループで、小学生の時から何も変わってないんだなあ、と思う。
小学一年生の時、感じていた感情は今も覚えているし、思考が変わってない。
だから、小学生ってもう、凄いよ。
とっても考えて行動していて、大人を見ていて、ものすごい吸収してる。
多分、今のわたしのほぼ全てが、小学校低学年時代に出来上がってる。
この時出来上がったわたしの、直前から作成中のわたしが、生きてきた中では一番、純粋無垢な素の、今、時々求めるわたしかもしれないと思ってる。
そこにどんどん近づいて、元に戻って。
で、もっと超えて行きたいって、お芝居を始めてから、強く思った。
これがすっごく難しいことで、わかってはいるけど、身体と思考がなかなかついていかない。
すごいよね、
自分自身の、普通、とか、好き、とか、これがしたい、とか、これがいい、とか、感覚で持っていたものを、色んな人がいる団体に所属して、自分の知らなかった、普通、とか、いいこと、だめなこと、とかを急いで教わって、自分のことを忘れて、慣れていこうとしちゃうんだよ。素直だから。
みんなが、同じ。これが普通って。そしたら、ぶつかりにくくなって、束ねやすいものね。その時は、楽だものね。
結局、マジョリティが強いし、みんな不自然に流されてってしまうって、小学生のときに、みっちりと勉強させられた。
ここが、わたしの今のところ一番の絶望。
この世界は、これが続いていくんだな、ずっと。っていう絶対的な確信が止まらなくて、大人になるのが、死ぬ程怖かった。
目立たないのが、一番。
夢を見ない。まず、夢を見ていいなんて、言ってくれる人が居なかった。家族以外は。今思うと、そんな思考回路がないみたいだった。
小さく小さくなって、耳を塞いで、何も言い返せない。誰かに助けてなんて言おうとも思わなかった。だってこれは、ずっと続いていくんだから、慣れていくしかないんだ、逃げていくしかない。変わらない。これが、普通。
今でこそ、そんなちっさい世界に何がしたくて居たのか、と思うけど、本気なんだよね。
言葉にできない気持ちを書き殴って居た暗号みたいな言葉で、少しは正気を保てていたのかもしれないなって、今、思った。
汚い言葉だけどね、相当。
そう、是非、きったない感情も、きれいな言葉にして、伝えてみたいと思う。
汚い言葉でしか伝わらないものもあると思うけど。汚い言葉は得意だから、きれいな言葉で。
最近、初めて、ずっとしたくてできなかった、作詞とか作曲をしてみていて、改めて心中を言葉にして人に伝えるっていうことの、素敵さと超、難しさを感じました。
語彙力の無さはかなり大きいけど、思ったことを、言葉に変換していないっていう癖は、かなり大きいなと思って。
だから、つまらない文章かもしれないけど、わたしは自分のために書くぞ。
という、まあ、わたしの生成された暗黒の小中学時代のお話を、ぬるっとしてみました。へへ。
何にも伝わらなかったら、教えて下さい。是非。伝わっても、教えて下さい。
わかりやすい言葉でシンプルに伝えるって難しいよね。