言葉にすること
昔から、たしか、ブログに何度かトライしてた。続かなかった。
でも、言葉にできない気持ちを、どうにか言葉にしてみたくて、でも、諦めてた。
でも、書いていこうと思う。
何故か昔から、相手に伝わるように丁寧に細かく、気持ちを言葉にすることに苦手意識なのか、抵抗なのか、嫌悪感がある。
というか、できない。と思って、してない。
でも、小学生の時から今も、感情日記?を、気が向くと書き殴ってる。これは誰にも見せないから続いているし、文章にはなってない。
多分。
人に見せるとなると、なかなか、進まない。書いては悩んで、悩んでは消して、で、書かない。
でも、やっぱ、書いていこうと思う。
感情日記って、
感情の起伏は見えるけれど、わたしの感情のなすがまま過ぎて、たまに振り返ると、本当に不思議なくらい感情が同じループで、小学生の時から何も変わってないんだなあ、と思う。
小学一年生の時、感じていた感情は今も覚えているし、思考が変わってない。
だから、小学生ってもう、凄いよ。
とっても考えて行動していて、大人を見ていて、ものすごい吸収してる。
多分、今のわたしのほぼ全てが、小学校低学年時代に出来上がってる。
この時出来上がったわたしの、直前から作成中のわたしが、生きてきた中では一番、純粋無垢な素の、今、時々求めるわたしかもしれないと思ってる。
そこにどんどん近づいて、元に戻って。
で、もっと超えて行きたいって、お芝居を始めてから、強く思った。
これがすっごく難しいことで、わかってはいるけど、身体と思考がなかなかついていかない。
すごいよね、
自分自身の、普通、とか、好き、とか、これがしたい、とか、これがいい、とか、感覚で持っていたものを、色んな人がいる団体に所属して、自分の知らなかった、普通、とか、いいこと、だめなこと、とかを急いで教わって、自分のことを忘れて、慣れていこうとしちゃうんだよ。素直だから。
みんなが、同じ。これが普通って。そしたら、ぶつかりにくくなって、束ねやすいものね。その時は、楽だものね。
結局、マジョリティが強いし、みんな不自然に流されてってしまうって、小学生のときに、みっちりと勉強させられた。
ここが、わたしの今のところ一番の絶望。
この世界は、これが続いていくんだな、ずっと。っていう絶対的な確信が止まらなくて、大人になるのが、死ぬ程怖かった。
目立たないのが、一番。
夢を見ない。まず、夢を見ていいなんて、言ってくれる人が居なかった。家族以外は。今思うと、そんな思考回路がないみたいだった。
小さく小さくなって、耳を塞いで、何も言い返せない。誰かに助けてなんて言おうとも思わなかった。だってこれは、ずっと続いていくんだから、慣れていくしかないんだ、逃げていくしかない。変わらない。これが、普通。
今でこそ、そんなちっさい世界に何がしたくて居たのか、と思うけど、本気なんだよね。
言葉にできない気持ちを書き殴って居た暗号みたいな言葉で、少しは正気を保てていたのかもしれないなって、今、思った。
汚い言葉だけどね、相当。
そう、是非、きったない感情も、きれいな言葉にして、伝えてみたいと思う。
汚い言葉でしか伝わらないものもあると思うけど。汚い言葉は得意だから、きれいな言葉で。
最近、初めて、ずっとしたくてできなかった、作詞とか作曲をしてみていて、改めて心中を言葉にして人に伝えるっていうことの、素敵さと超、難しさを感じました。
語彙力の無さはかなり大きいけど、思ったことを、言葉に変換していないっていう癖は、かなり大きいなと思って。
だから、つまらない文章かもしれないけど、わたしは自分のために書くぞ。
という、まあ、わたしの生成された暗黒の小中学時代のお話を、ぬるっとしてみました。へへ。
何にも伝わらなかったら、教えて下さい。是非。伝わっても、教えて下さい。
わかりやすい言葉でシンプルに伝えるって難しいよね。